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1に「好き?」で、2に「優れてる?」

ディオール、ティファニー、ジバンシー、フェンディ、ブルガリ、ルイヴィトンなど75を超えるブランドがすべてひとつの会社によって運営されていること、知ってた?あ、知ってるか。有名だもんね、LVMH。その北米支社プレジデントの著書の中にある言葉: “Studies show that feelings, not analytic thinking, drive an estimated 85 percent of buying decisions.” ある研究によれば、消費者が買う・買わないの意思決定は、論理的思考によるものではなく、そのおよそ85%が感情によって左右されることがわかっている。 (引用: Pauline Brown, Aesthetic Intelligence ) えーーー85%?! いや、そうかも。 パタゴニアとノースフェイス、機能性や価格、色もサイズも似たようなジャケットだったとすると、ボクはパタゴニアを選ぶ。 (シーシェパードへの支援は除き)彼らの姿勢や考え方が好きだから。 ホールフーズマーケットとトレーダージョーズに全く同じメーカーのミルクが同じ価格で売られてたとしたら、ボクはトレーダージョーズを選ぶ。 彼らのフレンドリーな接客が大好きだから。 アンドロイドベースのPCとアップルのPC、仮に同程度のスペックだったら間違いなくアップルを選ぶ。ジョブズ の思想やそれに基づいたデザインが好きだから。 上記の例において、ノースフェイスの製品の、ホールフーズの商品の、アンドロイドの製品の、機能性が格段に高かったとする。 それならボクはそれを選ぶか?いや絶対に選びません。では、価格がより低かったら?いや選びません。 なるほど、得するかしないか・便利かそうでないか(つまり「優れてるか」)でなく、やはり、「好きか」どうかの感情で選んでるわ。 ではアナタの会社が、お客さま候補に対してある提案をするとしましょう。複数の競合もいる。 お客さま候補は提案内容が優れてるかどうかだけを判断基準として、どこに仕事を依頼するか、を決めるでしょうか。 アナタの会社の提案が抜群に(際立って)素晴らしければ、或いは競合と比較して同じ提案内容でもコストがかなり低いのなら、選ばれるかもしれないけどね。 でも、おそらくほとんどのお客さまが最優先するのは「アナタと仕事をしたいか否か=感情」な...

「違い」はあっても「不正解」はないでしょ。

  例えば政党は「どうすれば日本を良い国にできるか?」についての考え方がある程度似通った人たちの集まりなわけでしょ、ざっくり言えば。で、日本には10の政党が存在してますね。乱暴に無所属を加えるなら11か。「どうすれば日本を良い国にできるか?」に対する考え方が11通り以上あるわけです(当然、ここに含まれない政治に興味をもっている日本国民や他国民がそれぞれの考え方を持っていることを想像するとそれは数億以上になる)。「どの政党が正解でどの政党が不正解なんですかね?」って質問があるとしたら、それへの回答はひとによって異なるはずです。このことは「どうすれば日本を良い国にできるか?」に対する考え方の「違い」はあれど「不正解」はないことを表していますよね。 「論理的に実証可能なことを積み上げていった上に最適解がある」、ロジカルシンキングの骨子です。これに基づき仕事を進めることが「最適解=正解」であるならこれ以外の思考は生まれてこないはずですが、90年代ころからデザイン思考、近年はアート思考という異なるアプローチも生まれ、たーくさんの企業で取り入れられていますし、それ以外の思考法も無数に提案されてきています。たとえばデザイン思考はロジックでなくユーザー視点で解決策を探る方法、アート思考は自分自身の経験や興味関心に基づき非連続なコンセプトを導き出し、そこからこれまでにない解決策を生み出す方法、てな具合です。これらの思考に共通しているのは「問題や課題に対する解決策を導き出す考え方」という点です。このことは、ある問題や課題に対する解決策を導き出そうとするときにはさまざまなアプローチがあり、それぞれに「違い」はあれど「不正解」はないことをここでも示しています。 プロジェクトマネジメント界隈においても、ウォーターフォール型のみならずアジャイル型、アジャイルだけでもスクラム、エクストリーム、リーンなど様々に枝分かれし、今なお変化は続いています。なぜ変化する必要があったのか?それはプロジェクトタイプの多様化に適応できる新たなマネジメント手法が必要であったからです。つまり、あるひとつの「正解」に縛られることなく、違うんじゃない?という疑問を持ち、その疑問を解消する試みをした結果として新たなプロジェクトマネジメントのアプローチが生まれたのです。どれも正解でも不正解でもなく、「違う」だけです。...

「Go」じゃなく「Let’s Go」

えーっとね。これちゃんと伝わるかな〜。 社長とか部長とか課長だとかなんだとか色々役職持ってる人はいるし、そうじゃない人もいる。そこにある関係性、決して上下じゃないと思ってます。会社という組織の中で、それぞれが違う役割を持ったプロフェッショナルで対等なパートナー。エンジニアって仕事を担当する役割、コールセンターエージェントって仕事を担当する役割、それと同じように社長だの部長だのマネジメントって仕事を担当する役割。いやもちろん、極論言えば会社の仕事は社長の仕事、一人でやれるわけないから分解して分散して手分けしてやってるわけです。って意味では社長が「上」の上下関係あるじゃんってのも正しい理解かもしれませんが、逆に言えば社長はひとりで全てはやれない。だから対等のパートナーってボクは思ってます。これは社長を部長に置き換え、会社の仕事を部の仕事に置き換えても同じこと。 それぞれがそれぞれの得意分野を活かして有機的に繋がってチームとして元気に活動してる。そういうのが理想。 ボクがゲーム会社に勤務してた時、キャリアパスの仕組みをデザインする機会がありました。例えばゲームデザイナーのキャリアパス。彼らはシニアゲームデザイナー>課長>部長、とマネジメント方向に進むパスももちろん選べるし、シニアゲームデザイナー>クリエイティブディレクター>シニアクリエイティブディレクターとクリエイティブ方向を追求するパスも選べるようにしました。だってマネジメント方向よりもクリエイティブ方向を追求したいって人たちもいるわけですから。それぞれどちらの方向に進んでも待遇面で差異が無いようにしっかりサポートする。そう、上下左右縦横斜め、360°どの方向にも行けるので結果的に上下が無くなる無重力状態。 鈴木敏夫がマネジメントで宮崎駿がクリエイティブ、どっちがエライとか無いですよね。宮崎駿のチームにも多くのスタッフがいるわけですが、先述の社長のくだりの通り、宮崎駿が抱える一人では対応できない仕事量を分解・分散してそのスタッフにお願いしている。ここでも対等なパートナー。スタッフがいなければ作品を完成させることはできません。 もちろん、他方では色々面倒な管理とかあるのはもちろんわかってるし、何かを円滑に処理したり判断しなきゃって時には「上下」がうまく機能しなきゃな場面があることもわかってる。そう...