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椎名林檎と椎名林檎

このところずーっと、ほんとにここ2か月くらい、椎名林檎しか聴いてないんじゃないかってくらいボクの脳髄面は彼女の音楽にビッタビタに浸されていて(こんなことは30数年前にRed Hot Chilli PeppersがBood Sugar Sex Magikをリリースしたとき以来かも)、ついに「この椎名林檎ってひとは、椎名林檎を演じてるのかそうじゃないのか」とかどうでもいいことまで気になるようにまでなってきました。 いや、どういうことかというと、 ・椎名林檎は、椎名林檎が持つべき役割と責任のようなものを客観的に整えて彼女自身に与えていてそれを演じてる? ・そうではなく、椎名林檎は椎名林檎なのであってスーパーナチュラルに彼女の内側から染み出てくる想いや感情、それを表現する方法のひとつとして彼女の音楽があるだけ? もし本人に会えるような機会があるなら、この疑問を左側からぶつけてみたい(実際会えるならこんな疑問よりも音楽のこと話したいわけだけど)ということで妄想スイッチON。 ーーー ボク:あのーユミちん、あ、いやリンゴちゃんはあれですか、「椎名林檎」を演じてるんですか?なんつーかリンゴちゃんが「椎名林檎はこうあるべき」というようなことをイメージして、そうなるためにはなにをどうするべきかみたいなことを考え実行する、とかそういうことですか?つまりいまの椎名林檎はリンゴちゃんが作り上げてきたものなんですか?それとも無意識に自分から染み出てくる言葉に音楽をつけるってことを積み重ねてきた結果が椎名林檎なのであって、リンゴちゃん=椎名林檎なんですかね? リンゴ:。。。そうおっしゃるアナタはどうなのでしょうか。 ボク:え? リンゴ:アナタが持っていらっしゃるお仕事においては、アナタが会社から与えられた役割と責任を客観的にお見つめになり、その役割と責任を全うするお姿はこうあるべきだというようなことをお考えになり、そうあるためになにをどうすべきかをお考えになりながら実行されていらっしゃるのでしょうか?それともアナタの内面から染み出てくる想いや感情を表現する手段としてのお仕事なのでしょうか。 ボク:あ、いや。。 リンゴ:ワタクシは前者です。つまり、椎名林檎が現在もこれからもどうあるべきかをイメージし、それに近づくために創作活動やパフォーマンスをしております。つまり自作自演家としての自分が自分に与...

カルチャーは経営資源

もしも会社がマシンだったら、必要なレシピ(つまりミッションやビジョン・そこに到達するための戦略・それを遂行する計画)と素材(モノ・カネ・情報・時間・知的財産)をインプットするだけで期待するアウトプットを得られるのかもしれません。 しかーし。 会社ってのは営利行為を業とする「法人」であって、法律によって「人と同じように権利・義務を認められた組織」であり、その組織=Companyとは集団・仲間と同義でもあります。つまり、ヒトの集まり。マシンではないことは自明(遠くない将来、スカイネットよろしく今後はヒトが介在しないマシンによる会社のようなものも生まれてくるのだと思いますが、少なくとも2024年時点では会社=ヒトの集まり。) ヒトの集まりであるなら、当然、そのヒトたちが、考えて・動いて・悩んで・その結果を喜んだり・悲しんだり・もっと楽しくしようと足掻いたり、その経験そのものや、そこから生まれるキズナ・想い・雰囲気、これらすべてひっくるめて会社のカルチャーであり、それは間違いなく会社の大切な資源のひとつだと思うわけです。 であるなら、会社の活動素材としての経営資源には、ヒト・モノ・カネ・情報・時間・知的財産、この6つに「カルチャー」を加えて7つと位置付けて、大切に育てていきたい。 「素晴らしい会社活動の結果からカルチャーが生まれる」、そうかもしれません。 一方で、「素晴らしいカルチャーがあるから、素晴らしい成果を生める」という順番もありそうだし、それを優先する経営スタイルがあっていいと思ってる。 「どういう方針・方法で、会社の売上・利益を獲得し従業員の生活を守っていくか」 それはもちろん重要。だけど、それだけでは絶対にダメ。 従業員は、売上・利益製造マシンではないからです。 仲間と楽しく仕事をやれているか 信頼・尊敬・共感できる先輩や上司がいるか やりたいことをやりたいと自由に声に出せる環境か 正当で適正な評価を得られているか 目指す将来に向けて進めているか、そのための支援があるか こういったことに対する答えの固まりがその会社のカルチャーですし、そのカルチャーがどうあるべきかを議論したり、そのあるべきに近づく努力自体もカルチャーの一部だよねと思うわけです。 これに注力しないどころか意識すらせず営利行為のみに注力するような会社では、必ず従業員から悲鳴があがってしまうでしょう。...

キラキラエンジンとクチコミターボ

たとえば、ですよ。たとえば会社を車に例えるなら、その原動力はなんでしょう? もちろん、エンジン。 そのエンジン=ビジネス、そのまんまずーっと元気なわけじゃ無いはず。 ほおっておくと時代遅れになっちゃったり、故障したりしちゃうので、エンジンが常にキラキラであり続ける努力は必然。 エンジン パーツ1:その商品やサービスそのもの(商品性) パーツ2:その商品やサービスが利益を上げるための仕組み(収益性) パーツ3:その商品やサービスを価値を損なうことなく提供する仕組みの強さ(サプライチェーン) 主にこの3つのパーツで構成されるエンジン、これを動かした(ビジネスを回した)結果としてのイマはどうなのか、そのイマをしっかり見つめることで、どのパーツに問題ありそうか、が見えてくるように思います。問題が見えてくれば、その原因も見えてきて、原因が見えてくれば、解決策も見えてくる。 この3つのパーツ、それらで構成されたエンジン、時代遅れになったり、故障したりしないようにいつもキラキラに磨き上げておきたいですよね。 そのキラキラになったエンジン。 せっかくキラッキラなのに誰にも気付いてもらえなかったらそりゃ淋しいですよね。淋しいというかビジネスとしては致命的。 気付いてもらうための方法は大きくふたつありそう。 A:自ら「このエンジンすごいんです!」と発信 B:「このエンジンすごいな。。」と思ってもらい、そのひとから周りに「すごい」が伝播 Aは、お客さまになってくれそうな層にダイレクトに情報を届けるプロモーション。これは実際はエンジンがすごくなくても「すごいんです!」と言えちゃう。「へーすごいんだ。じゃあ試して見るか」➔「ん?いや大した事ないじゃん」➔「あれさ、つかってみたけど大したことないよ」が周りに伝播してディスプロモーションになってしまうシナリオも充分あり得る。だからまずはエンジンをキラキラにすることが肝要。ここでは、「エンジンがキラキラだという自信がないのにAの手法をとっちゃダメ。まずはキラキラにする努力を優先して。」と提言したい。 そしてB。エンジンがキラキラならAの手法はもちろん効果的。しかし、プロモーションにはコストがかかる。Bの骨子はプロモーションコストをかけずに「お客さまに最強のプロモーション部隊になってもらう」こと。つまり、コストをかけて声高に「すごいんです!」と捲し立...

アイデア妄想力

アイデア(idea)、辞書を開いてみると第一義的には「物事の計画・実行などにあたっての新しい工夫や思いつき。考え。」とあります。一方、類似語にアイディール(ideal)があります。これは「理想」という意味ですが、ideaとidealは語源が同じで、そもそもはこのふたつの言葉には「具体的な形は無いながらも、考え同様に具体的かつ力強く思い描くイメージ」といったニュアンスがあるようです。勝手にかみ砕いてみると「こうなるといいなあ、こういうのあればいいなあ、というようなことを頭の中に思い描いたこと」なんでしょうね。 では、「こうなるといいなあ、こういうのあればいいなあ」を思いつく、つまりアイデア妄想力を高めるにはどうしたら良いでしょうか。 まず意識すべきことは、とにかく素材としてのデータを頭の中に詰め込むことだとボクは考えています。アイデアというのは、無(ゼロ)の状態からヌーッと姿を表してくるものではなく、頭の中に持っているデータで、これまで独立して取り扱われていたデータたちが突然連結され、そのことによって突然変異して新しい形に見えるもの、これがアイデアが成り立つ仕組みなんだろうなあと勝手に思い込んでます。(このアイデア創造の仕組みに同意してもらえるかは横に置いて先に進む)となると、アイデアを生み出すには頭の中にどれだけのデータを持っているか、これが重要なのだと思います。それはデータ量だけが重要でなく、データの種類も多い方が良さそうです。踏まえると、日々興味があることのみならず自分が全く興味がないことに関しても本を立ち読みしてみたり、ネットで読み流ししてみる、みたいなことも大切そう。これがアイデア妄想力を高める第一ステップ。 こうして頭の中にいろんなデータを詰め込んでおくと、何かをキッカケにデータ同士が突然連結します。みなさんも経験ないですか?ずーっと答えが出なかったことが、シャワーを浴びてるとき、海を見てぼーっとしてるとき、ブラブラと散歩しているとき、とつぜん「ん?」とその答えのタネのようなものが頭をよぎることがあります。ほんの一瞬。この一瞬のヒラメキ、そのまま何もせずにほおっておくと答えのタネは発芽することなくどこかに消えていってしまいます。 人間の脳はそもそも忘れるように作られている、20分後には42%、1時間後には56%、24時間後には74%、1週間後には77%、1...

1に「好き?」で、2に「優れてる?」

ディオール、ティファニー、ジバンシー、フェンディ、ブルガリ、ルイヴィトンなど75を超えるブランドがすべてひとつの会社によって運営されていること、知ってた?あ、知ってるか。有名だもんね、LVMH。その北米支社プレジデントの著書の中にある言葉: “Studies show that feelings, not analytic thinking, drive an estimated 85 percent of buying decisions.” ある研究によれば、消費者が買う・買わないの意思決定は、論理的思考によるものではなく、そのおよそ85%が感情によって左右されることがわかっている。 (引用: Pauline Brown, Aesthetic Intelligence ) えーーー85%?! いや、そうかも。 パタゴニアとノースフェイス、機能性や価格、色もサイズも似たようなジャケットだったとすると、ボクはパタゴニアを選ぶ。 (シーシェパードへの支援は除き)彼らの姿勢や考え方が好きだから。 ホールフーズマーケットとトレーダージョーズに全く同じメーカーのミルクが同じ価格で売られてたとしたら、ボクはトレーダージョーズを選ぶ。 彼らのフレンドリーな接客が大好きだから。 アンドロイドベースのPCとアップルのPC、仮に同程度のスペックだったら間違いなくアップルを選ぶ。ジョブズ の思想やそれに基づいたデザインが好きだから。 上記の例において、ノースフェイスの製品の、ホールフーズの商品の、アンドロイドの製品の、機能性が格段に高かったとする。 それならボクはそれを選ぶか?いや絶対に選びません。では、価格がより低かったら?いや選びません。 なるほど、得するかしないか・便利かそうでないか(つまり「優れてるか」)でなく、やはり、「好きか」どうかの感情で選んでるわ。 ではアナタの会社が、お客さま候補に対してある提案をするとしましょう。複数の競合もいる。 お客さま候補は提案内容が優れてるかどうかだけを判断基準として、どこに仕事を依頼するか、を決めるでしょうか。 アナタの会社の提案が抜群に(際立って)素晴らしければ、或いは競合と比較して同じ提案内容でもコストがかなり低いのなら、選ばれるかもしれないけどね。 でも、おそらくほとんどのお客さまが最優先するのは「アナタと仕事をしたいか否か=感情」な...

「違い」はあっても「不正解」はないでしょ。

  例えば政党は「どうすれば日本を良い国にできるか?」についての考え方がある程度似通った人たちの集まりなわけでしょ、ざっくり言えば。で、日本には10の政党が存在してますね。乱暴に無所属を加えるなら11か。「どうすれば日本を良い国にできるか?」に対する考え方が11通り以上あるわけです(当然、ここに含まれない政治に興味をもっている日本国民や他国民がそれぞれの考え方を持っていることを想像するとそれは数億以上になる)。「どの政党が正解でどの政党が不正解なんですかね?」って質問があるとしたら、それへの回答はひとによって異なるはずです。このことは「どうすれば日本を良い国にできるか?」に対する考え方の「違い」はあれど「不正解」はないことを表していますよね。 「論理的に実証可能なことを積み上げていった上に最適解がある」、ロジカルシンキングの骨子です。これに基づき仕事を進めることが「最適解=正解」であるならこれ以外の思考は生まれてこないはずですが、90年代ころからデザイン思考、近年はアート思考という異なるアプローチも生まれ、たーくさんの企業で取り入れられていますし、それ以外の思考法も無数に提案されてきています。たとえばデザイン思考はロジックでなくユーザー視点で解決策を探る方法、アート思考は自分自身の経験や興味関心に基づき非連続なコンセプトを導き出し、そこからこれまでにない解決策を生み出す方法、てな具合です。これらの思考に共通しているのは「問題や課題に対する解決策を導き出す考え方」という点です。このことは、ある問題や課題に対する解決策を導き出そうとするときにはさまざまなアプローチがあり、それぞれに「違い」はあれど「不正解」はないことをここでも示しています。 プロジェクトマネジメント界隈においても、ウォーターフォール型のみならずアジャイル型、アジャイルだけでもスクラム、エクストリーム、リーンなど様々に枝分かれし、今なお変化は続いています。なぜ変化する必要があったのか?それはプロジェクトタイプの多様化に適応できる新たなマネジメント手法が必要であったからです。つまり、あるひとつの「正解」に縛られることなく、違うんじゃない?という疑問を持ち、その疑問を解消する試みをした結果として新たなプロジェクトマネジメントのアプローチが生まれたのです。どれも正解でも不正解でもなく、「違う」だけです。...

「Go」じゃなく「Let’s Go」

えーっとね。これちゃんと伝わるかな〜。 社長とか部長とか課長だとかなんだとか色々役職持ってる人はいるし、そうじゃない人もいる。そこにある関係性、決して上下じゃないと思ってます。会社という組織の中で、それぞれが違う役割を持ったプロフェッショナルで対等なパートナー。エンジニアって仕事を担当する役割、コールセンターエージェントって仕事を担当する役割、それと同じように社長だの部長だのマネジメントって仕事を担当する役割。いやもちろん、極論言えば会社の仕事は社長の仕事、一人でやれるわけないから分解して分散して手分けしてやってるわけです。って意味では社長が「上」の上下関係あるじゃんってのも正しい理解かもしれませんが、逆に言えば社長はひとりで全てはやれない。だから対等のパートナーってボクは思ってます。これは社長を部長に置き換え、会社の仕事を部の仕事に置き換えても同じこと。 それぞれがそれぞれの得意分野を活かして有機的に繋がってチームとして元気に活動してる。そういうのが理想。 ボクがゲーム会社に勤務してた時、キャリアパスの仕組みをデザインする機会がありました。例えばゲームデザイナーのキャリアパス。彼らはシニアゲームデザイナー>課長>部長、とマネジメント方向に進むパスももちろん選べるし、シニアゲームデザイナー>クリエイティブディレクター>シニアクリエイティブディレクターとクリエイティブ方向を追求するパスも選べるようにしました。だってマネジメント方向よりもクリエイティブ方向を追求したいって人たちもいるわけですから。それぞれどちらの方向に進んでも待遇面で差異が無いようにしっかりサポートする。そう、上下左右縦横斜め、360°どの方向にも行けるので結果的に上下が無くなる無重力状態。 鈴木敏夫がマネジメントで宮崎駿がクリエイティブ、どっちがエライとか無いですよね。宮崎駿のチームにも多くのスタッフがいるわけですが、先述の社長のくだりの通り、宮崎駿が抱える一人では対応できない仕事量を分解・分散してそのスタッフにお願いしている。ここでも対等なパートナー。スタッフがいなければ作品を完成させることはできません。 もちろん、他方では色々面倒な管理とかあるのはもちろんわかってるし、何かを円滑に処理したり判断しなきゃって時には「上下」がうまく機能しなきゃな場面があることもわかってる。そう...