ソレ言う前にやれることぜーんぶやってる?
「お前は何かしているのか、客を呼ぶ工夫を」
ゾワッとした。
新たに始まったNHK大河ドラマ「べらぼう」で田沼意次を演じる渡辺謙が、横浜流星演じる蔦重こと蔦谷重三郎に投げかけたこのセリフに。
江戸のマーケターの話を描くなら、蔦重の前にまずはドラッガーをしてマーケティングの発明者だと言わしめた三井高利が先じゃあねぇんですかねとナメていたドラマから飛び出したセリフだっただけになおさら。
そのセリフまでの流れ・・
蔦重の恩人のような存在である女郎の朝顔が飢えに起因する病で亡くなった
吉原には、大見世と河岸見世(吉原の場末)という格式の異なる女郎屋があり、朝顔は格式の低い河岸見世に所属していた
朝顔だけでなく、河岸見世に属す女郎たちは同じように飢えに苦しんでいて、蔦重はその酷い惨状に思い悩んでいた
この飢えの原因は、河岸見世に客が集まらず女郎たちには収入が無いことであり、客が集まらないのは「岡場所」や「宿場」が存在していることだと蔦重は考えていた
吉原が幕府公認天下御免の格式高い遊び場であるのに対して、そこよりも安価で手軽に遊べる違法営業の岡場所(無許可の風俗街)と宿場(遊女がいる宿)の存在を幕府が黙認しているから、吉原の特に河岸見世に客が集まらない、だから売上が上がらない、だから女郎たちがメシを食えない、これが蔦重のロジック
蔦重は、岡場所と宿場を廃絶することで吉原に活気が戻るはず、そう考え老中である田沼に対して、非公認施設を取り締まる「警動」を発動して欲しいと直訴した
それに対して田沼は、「非公認施設は新宿や品川などの宿場にも幾つもある。吉原周辺の非公認施設を取り締まるということは新宿や品川など吉原以外の非公認施設も取り締まらなければならない。それらを全て取り締まるとなると、それらの施設がある土地が枯れてしまう。旅人が最もお金を落とすのは何だ?」
「女と博打です・・」と蔦重、「そうだ。」と返す田沼。女と博打があるから宿場が潤う。それを消し去ってしまってはもっと大きな別の問題を生んでしまう、と
田沼は「もはや吉原が、足を運ぶ値打ちも無い場になり下がっているのではないか」と続ける。他が潤っているのに吉原がそうでない現状には、そもそも別の原因があるのだろうと蔦重に突きつける
蔦重は「女郎は懸命に努めております!」と返す
それを受けさらに田沼は「では・・人を呼ぶ工夫が足りぬのではないか?お前は何かしているのか、客を呼ぶ工夫を。」、と加える
蔦重(そしてボクも)は、脳天を突かれ言葉がでない
シビれた。
田沼のそのセリフを聞くまでは、そこまでの蔦重の行動が理にかなってると思っていたから余計に。
ーーー
ふりかえってみると、田沼にそう問いかけられるようなシーンに接したり、自分がそのシーンの張本人であったりすることが少なくないのかもと感じた。
・「チームの意思統一、難しいの。だからいろんなことが先に進まない。」
・「お金ないからさ、それやりたくてもやれないの。そもそも無理ゲー。」
・「売上利益計画がそもそも無謀。達成できなくて当然じゃん。」
・「給料ぜんぜん上がんないの。仕事は頑張ってるんだけどさ。」
・「なかなかうまく採用できない。人が集まらないわー。」
そう、そうなんだけどさ。ソレ言う前にやれること全部やったのかな、って。
・チームの意識を揃えるための取り組みをやり切ってないのかもしれない。
・お金を搔き集める努力や誰かを説得し承認を得る努力が足りてないのかもしれない。
・達成できない理由の特定やそれを排除する取り組みをもっとやれるのかもしれない。
・仕事頑張る以外に給料上げる取り組みや工夫があってもいいのかもしれない。
・採用っても、媒体使えば人が集まるわけじゃないのは自明。認知してもらう努力に加えて、興味を持ってもらう工夫・応募してもらう工夫・入社してもらう工夫が足りてないのかもしれない。
せっかく年の初めってなタイミング。いろいろと思い直してリトライするのも悪くない。
ーーー
そして、そしてなによりこの「べらぼう」を制作しているNHK。
彼ら自身がこの田沼の問いかけを真正面からガシッと受け止めるべきでしょうよ、と左手の拳をギュギュッと強めに握りしめながら思うのである。
受信料を払ってください!とのべつ幕無しに喚きたてる彼らに対して、きっと田沼ならこう言うだろうから。
「では・・受信料を払ってもらう工夫が足りぬのではないか?お主らは何かしているのか、受信料を払ってもらう工夫を。」
コメント
コメントを投稿