コーポレートバカなんス
日本において企業統治が注目され始めて久しい。
改めてそれって何?と定義を整理してみようとしたんだけど、いやそんなシンプルなもんじゃあないんだね。
多方面から異論出てくるの承知で整理してみると;
(1)法令:企業が事業活動を行う上で遵守すべき法律や規則を遵守する
(2)モラル:社会的価値観(誠実さ、公正さ、他者への配慮)に基づき善悪を判断し、それに沿って行動する
(3)マナー:日常的な職場内外での社会的な振る舞いや礼儀に関する規範を持ち、それに沿って行動する
(4)業務運営:効率的な業務遂行のための規程とプロセスを定め、それに沿って活動する
(5)組織文化:企業独自の価値観と行動基準(クレド)に沿った活動やそれによって出来上がった職場環境の維持
この5つが適正に行われるように監視そして調整する仕組みや制度のことを企業統治と呼ぶっぽい。
そしてこの5つそれぞれの取り決めを定めるのはどこ?+どういうことを定めるの?と考えてみると;
(1)法令:立法府ーーー「個人情報保護法に準拠する」、「労働基準法に準拠する」
(2)モラル:社会ーーー「環境に配慮しない行動・活動を控える」、「ハラスメントをしない」、「差別的言動をやめる」
(3)マナー:コミュニティーーー「咳がでるならマスクを着用する」「優先席はそれを必要とするひとに譲る」
(4)業務運営:会社ーーー「社内決裁規程を遵守する」、「社内就業規則を遵守する」
(5)組織文化:会社ーーー「仲間を尊重する」「チームワークを優先する」「オープンなコミュニケーションを心がける」
そしてこれらの取り決めを遵守しない場合;
(1)法令:法的罰則を受けることがある
(2)モラル:法的な罰則はないが、社会的信用を失う可能性がある
(3)マナー:罰則はないが、人間関係や信頼に悪影響を与える可能性がある
(4)業務運営:懲戒処分(戒告・譴責・減給・出勤停止・降格・諭旨解雇・懲戒解雇)を受ける
(5)組織文化:遵守の対象とはならないが、業務の生産性の低下を招いたり、文化になじめなければ組織を去ることになる
そもそも
(2)モラル
(3)マナー
(5)組織文化
この3つに「ルール」はない。
ルールは無いので「どう振る舞うか」は自分次第。自分が属する会社において、その内側に存在する「共通の経験」や「価値観」「期待」「文化」が醸成されていくことと平行して、それに適合したマナーやモラルが徐々に形成され変化していく。それを自分で感じ取り、感じ取ったものを頼りにどう振る舞うべきかを自分で決めて実行していくしかない。このように、その解釈が個人に依存し、それ故に何が善で何が悪かの理解も個人によって異なるというように共通性が極めて低いことから、罰則なんてものを置くこと自体が無理だし無意味。
右利きのひとが左手をテーブルの下に隠して食事をした場合、日本では行儀が悪いとされる。
一方、アメリカではそれが正しい食事マナーとされている。
属すコミュニティによって自分の振る舞いが周りにどう映るかは変化するわけなのだから、「うん、この人はちゃんとしてる」という評価を受けたいのなら、自分が「イマ」身を置いている社会・コミュニティ・会社のマナーやモラルがなんたるかを、五感を研ぎ澄ませて感じ取ることと、そしてそれに沿った振る舞いを意識し続けることが肝要だということなのだろう。
右利きのひとが日本において左手をテーブルの下に隠して食事をしたとしても、それがアナタの人生を破滅に向かわせるようなことにはならない。周りからの目がちょっとだけ冷ややかになった・・・それくらいのもんだろう。ただし、そういったマナー・モラルに反する振る舞いが続くなら、自分にとって望ましくない状況を生み出すこと、すなわち法的な処罰とは別のなんらかの形で制裁を受けることはありそうだ。
上記から、企業というコミュニティにおいて、そこに属するメンバーに対して期待する振る舞い(モラル・マナー)を促すことが企業統治の構成要素のひとつと言えそう。
どう促すか?
まずは、その「期待する振る舞い」とはなんなのかをきちんと議論し整理し明文化することが効果的であるということをいくつかの企業が実証しているからクレドなんてものがあるのかもしれない(繰り返すが、そのクレドに反してもペナルティはを受けることはない。が、「反する」ということはそのクレドに違和感を持っている=その企業の文化・風土に馴染めない、ということになるので会社にとってもそのひとにとっても幸せな状態では決してない)。
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逆に明確に「ルール」があり、適用されていて、それを遵守しない場合にペナルティがあるのは、
(1)法令
(4)業務運営
この2つだけ。
ならば次にルールとはナンデスカ?という流れになるわけだが、
「ある特定の状況や環境において守らなければならない決まりごと」
というのがその定義らしい。
じゃあルールは、何のためにあるんデスカ?と考えてみるなら以下がその理由のようなものになるのだろう。
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(1)の法令は、社会におけるルール
社会全体の秩序を保つため、公平を確保するため、安全を守るため、紛争解決の手段を提供するため、こういったことのために存在しているのだと思う。
(4)は会社内のルール
例えば就業規則や決裁規程などがそれにあたる。それらのルールは、会社の秩序を保つため、業務を効率的に進めるため、公平性や透明性を確保するため、リスクやトラブルを回避するために存在している。また、それらを遵守することでその会社のメンバーが安心して働ける環境を提供することに繋がっていて欲しい。
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裏返せば、法令を守らなければ、社会の秩序は保たれず、不公平で不安全になり、絶えず紛争が起こりその解決が難しい、混沌と混乱が満ち溢れた社会になってしまうということだし、就業規則や決裁規程を守らないなら、会社の秩序は乱れ、業務は非効率化し、不公平で不透明なコミュニケーションが蔓延し、リスクやトラブルも発生しやすい環境となってしまい、会社機能・就労環境としては不安定で危険な状態となってしまう。
では、その守るべきルールはどうやって作られるのか。
まずは目的と必要性の明確化
社会や会社が直面している問題や課題を解決するために、何かしらの取り決めが必要とされることがきっかけとなるはず
それがルール制定のきっかけであり目的、その必要性を関係者で合意する必要がある
社会全体では秩序や安全を保つために法律が制定されるし、企業では生産性の向上や社員間の公平性を確保するために就業規則を作る
続いて利害関係者間での議論を実施
その問題や課題を解決するためにどういうルールが必要かについて議論する
社会レベルであれば国会でそれが議論されるし、会社レベルで考えれば経営陣だけでなくメンバーも意見を出し、全体の合意形成を図る
利害関係者を巻き込み議論することで、ルールが一方的なものにならず、全員が「守るべきルールだ」と思えるものになる
これ以降、ルール導入と導入後モニタリング、評価と見直し、などのステップに移行するが、ここでは「どうやってルールが作られるか」にフォーカスしているため割愛
そう、改めてルールの定義はこうなる。
「問題や課題を解決するために、利害関係者全て(それが不可能な場合は全員が選任した代表者全て)が必要だと合意し、作り上げた利害関係者全員が遵守すべき取り決め」
こうしたステップを踏んで作り上げられたものであるから、これを改変するときも同様のステップを踏むべきだし、新たなルールを追加する場合も同じ。立法府における法令制定の手順はまさにこれ。企業におけるルール制定もそうあるべき。
このステップを端折って一部の誰かがルールを勝手に変えたり新たに作ったりしてしまうと、それはそもそもルールの定義である「全員が合意して作り上げたもの」に当てはまらず、「全員が守るべきルール」とはなり得ない。
ルールは、「問題や課題を解決するために、利害関係者全てが必要だと合意し、作り上げたもの」であるわけなので、改変するなら利害関係者の合意が必要。これらとは別のルールを作るなら正しいステップを踏む必要が当然ある。
ルールが正しく作られないなら、そして問題や課題を解決できないルールなら、それが守られるわけもない。
そうならないために中心におくべき考え方は以下。
・ルールが必要かを判断する
・必要ならルールを作る
・ルールは、利害関係者で議論し「守るべきルール」となるようにする
・守るべきルールは守る
但し、一度作ったルールに盲目になり、ルール至上主義で思考停止しないようにも留意しなければならない。ルールがあることで何かが滞ってしまっているようなら、ルール自体を見直す、あるいはルールを適用する必要がなければ撤廃する、というフレキシビリティを排除してはダメ。状況や環境の変化に合わせてルールも変わるべき。
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クレドを作った方がよさそうとか、ルールはちゃんと作ってちゃんと守ろう、と書いてきたが、クレドやルール(法令は除き)がなくても、企業内メンバー全員の「想い」「熱量」「感覚」が揃うようにリーダーが動き回ることで、クレドもルールも不要となる環境を作り上げられるならそのほうが理想的。
そんなことは非現実的だってことはわかってるけど、それができるなら必要な変化も(ルールを破ることなく)ナチュラルに起こせるし浸透する。
なんにせよ、ここまで書いたようなことができてないとコーポレートガバナンスにはほど遠く、周囲からはなんかヤバそうだね、とか危なっかしいね・・とか評価されてしまうような状況を生み出しかねない。コーポレートバカなんスとか揶揄されることがないように取り組みたいもんです。
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