正論が正論となるまでの道のり

 正論?異論?

広辞苑の定義によれば、正論とは「道理にかなった正しい主張」ということらしい。一方で、異論の定義はというと、「他と異なる意見。対立した考え」となっている。

ルークスカイウォーカーの主張を正論とするなら、それに反するダースベイダーの主張は異論。逆にダースベイダーの主張を正論とするなら、ルークのそれは異論となる。

ルークの考え方の拠り所となっているであろうジェダイの思想に共感している人たちにとっては、ジェダイの思想が道理であって、それにかなったルークの主張は正論として受け取られる。

他方、(物語のある時期における)ダースベイダーの考え方の拠り所はシスの思想であって、それに共感している人たちにとってはダースベイダーの主張が正論となる。

ジェダイの正論はシスにとっては異論、シスの正論はジェダイにとっては異論なのであって、アメリカとイラン、ロシアとウクライナ、アメリカの共和党と民主党、エルディアとマーレ、呪術師と呪詛師、双方にとって共通の正論は存在しない。

それでも、どちらかの主張を(一時的にでも)正論として取り扱い物事を前に進める必要はあって、そのために国家レベルでは専制政治や民主政治というような手法が開発されてきたんだろうね。

専制政治主義国家においては、ある一人(あるいは一部の人たち)にとっての正論が、ある種オートマティックにインストールされるわけで、その正論が唯一の考え方として存在する(ことが強いられる)。そこには異論が存在せず、人々の間に摩擦や衝突は表面化することは起こりにくく、それを取り去るような努力が求められることは構造的にはない、がその基礎となっている。

それに比べて、民主政治主義国家はカオスだ。どんな考え方も尊重される土台があるから、それぞれの考え方をベースにしたそれぞれの正論が生まれる。例えば、ある課題が特定されたとして、それを解決するための考え方は論理的には無制限に存在することが許容されていて、そのそれぞれの考え方に基づいた正論が存在することになり(だから例えば日本の政党は無尽蔵)、アナタにとっては正論だが他の誰かにとっては異論、という状況がアチラコチラに呪霊の如く湧き出ているのだ。

それでも何か一つを正論として取り扱わなけば物事を前に進めることはできないので、やむなく(熟議を経た上で、という前提での)多数決という方法が生み出されたということなのだろう。


アナタの仕事に置き換えると・・

アナタが務める会社。そこで確認された課題、その課題の解決にアナタと田中さんがアサインされた。

その課題をどう解決すべきか?

アナタと田中さん(佐藤さんも鈴木さんも参加して良いがややこしいのでアナタと田中さんで先に進む)のそれぞれが考え、それぞれが結論を出したとしよう。

アナタの結論は、アナタにとっての正論。田中さんの結論は、田中さんにとっての正論。

その二つの正論が全く同じものでなくとも、ほとんどの点で似通った内容であるなら、二人にとっての正論となり、かつてBob Marleyが唱えたようにEverything is gonna be alrightとなり、二人足並み揃えて次のステップ(関係者の巻き込み)に進むだけだ。

しかし、二つが同じものでない場合、アナタの結論を正論(解決策)とするなら、その正論から見た田中さんの結論は異論となり、逆に田中さんの結論を正論(解決策)とするなら、その正論から見たアナタの結論は異論となる。

それでも課題解決のためには、どちらかを正論として取り扱わなければならない(アナタの会社が専制主義でない限りは)。

アナタは、アナタの結論(正論)が「道理にかなった正しい主張」であり解決策だと信じている。であるなら、アナタの正論が田中さんにとっても正論となるように、田中さんの腑に落ちるような努力をしなければならない(田中さんもそうしてくるだろう)。

アナタの正論が正論であると主張すべき相手は、田中さんだけでなくその課題に関わる関係者全員となる。どれだけ多くの関係者に腑落ちしてもらえるか。腑落ちしてくれる人たち=アナタの主張が正論だと考えてくれる人がちが多くなればなるほど、課題解決のためにアナタの正論が採用される可能性は高くなる。


どうすれば腑落ちさん達を増やせるか

その方法はいくらでもあるのだろうからここに列挙することは困難だが、逆に避けるべきポイントは限られているように感じている(そう感じるのはボクの脳ミソの処理能力が低いからだろうけれど)

ーーー

(1)言い切り型

「コレが正解で他は全部間違い。はい、これでいきます。」というような主張。受け手は納得できてなくても賛同したように演じなければならない、自分ごとにならない、といったシーンとなりがちで、実際の課題の解決が進まない。トップダウンはこれ。トップダウンだからと言って理解・納得してもらうことができないまま先に進んでしまうと、その先で躓く可能性が高くなる。

(2)ロボット型

正論それ自体がどういう構造であるかなどの説明は完璧に行うが、どこか一方通行でロボット的。そこ(正論)に至るまでの背景や過程・文脈、経験した葛藤や苦難のシェア、受け手の視点や視座・その領域での理解度に合わせた説明ができてない。受け手に「理論的には理解できるんだけど、なんだか協力したいって気持ちになれないなあ」という想いを生みやすくなってしまう。

(3)で、どうなるの?型

その正論に基づく解決策を実行することによってもたらされる会社にとっての価値、メンバーにとっての価値、何がどう変わるのかの説明が抜け落ちてしまっていて、「で、やったら何がどうなるの?」と実行の価値や意味が共有されず、受け手の本気スイッチが入らない

ーーー

こういった避けるべきポイントを認識し、裏返して活用することができるなら、アナタの正論を正論だと思ってくれる人たちが増えるはず(少なくともその可能性は高まる)。


それはそうなんだけどさ・・

多くの賛同者を増やすことができて、アナタの正論が正論となったとき、それは田中さんにとっては自分の正論が異論となった瞬間。田中さんの中にはなんというか無念とか遺恨とかそういうものが少なからず残ることになるだろう。

エルディア帝国出身のアルミン、ジャン、コニーの3人、そしてマーレ共和国出身のライナー、アニ、ピークの3人、かつてそれぞれがそれぞれの国の思想に基づき争ったわけだが、最終的には巨人を消し去るために一つの想いを共有し、物語のラストにはエルディア帝国に向かいさらに世界が一つの想いを共有できるように試みた。

正を定めれば、異が生まれる。正解を定めれば不正解が生まれる。「誰にとっても共通する想い」、進撃の巨人の物語においてはそれは「争いのない世界」。この点については、ボクらの世界においても正論も異論もない(と思いたい)。正論でも異論でもない「共感できる想い」だけを見つけ出し、それを追求し続けることこそが、企業にも社会にも求められているんじゃないかと思ってるし、この世界を美しい方向に進めるドライバーになるんじゃないの?と割と真剣に考えている。世の中にも同類の考え方が潜在的に在るからこそパーパス経営やビジョン型経営のような(正論や異論を包み込むような)上位概念が台頭してきたのだと思いたい。この先、その思考フレームワークを超える何かが出現し、それによって正・異の区分けが無くなればいいのになあ。


さて問題。この記事に「正論」は何回登場したでしょう?

コメント

  1. 戦争見たいですね。どちらが正義か分からない。 結果的に分かるのか?同意者が多ければ正論なのか?
    絶対的権力者が正しいという法律を作ると正論なのか。
    難しいですね。
    だけど、意見交換が活発になると良いですね。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

電力不足も人材不足もやるこた同じ

今さら聞けない「マト」と「シルベ」の使い分け

思考放棄シンギュラリティ